日本の国語教科書に採用されている「三年峠(三年とうげ)」は、韓国(朝鮮)理解の教材として位置づけられていることは、広く知られている。本稿は、この「三年峠」が日本の植民地時代に朝鮮総督府編纂の朝鮮語教科書に使用された経緯とその歴史的意味について考察したものである。もっとも、本稿の意図は安直に過去と現在とを直結させて、「三年峠」が「いわくつきの」テクストだと言いたいのではない。むしろ、教材が時代の要請をどのように反映してきたのかについて理解し、日本と朝鮮の近代が抱えた矛盾をじっくり考えさせるテクストとしての可能性を模索するところに主たる意図がある
京都の市民のあいだに文学意識の高まりが認められるのは大正期に入ってからである。一九一八(大正七)年に初めて同人詩誌の創刊が見られ、一九二〇年には句詩『鹿笛』と『京鹿子』が相次いで創刊される。両誌とも高...
中江兆民は1870 年代以降『一年有半』公刊まで,民権論を一貫して堅持した。他方,この時期に中江が対外関係論において「小国主義」から亜細亜雄張の国権拡張論へと「転換」を遂げたのも,紛れのない事実である...
江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
日本の国語教科書に採用されている「三年峠(三年とうげ)」は、韓国(朝鮮)理解の教材として位置づけられていることは、広く知られている。本稿は、この「三年峠」が日本の植民地時代に朝鮮総督府編纂の朝鮮語教科...
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」をはじめ、吉井勇の『酒ほがひ』の「祗園冊子」の章に収録された「祗園もの」とも言うべき一連の作品は吉井勇の生涯を通じた代表作となったものだが、こ...
夏目漱石『京に着ける夕』(明治四〇年四月)は、漱石が朝日新聞に入社し、職業作家として最初に書いた小品である。これまでの研究史では、「随筆」として漱石の実体験と連動するかたちでの論及が主であったが、本論...
徳重浅吉は、第一次世界大戦後に、研究生活に入り、歴史は構成されるものとする立場で、観念論的な史学、マルクキシズム史学に対抗して、実証的な文化史・精神史をめざそうとする。京都との関わりは、一つは三浦周行...
本稿の目的は、イタリア人日本語学習者の中間言語の音声的・音韻論的特徴を分析し記 述することである。分析の際、日本語ピッチアクセントの知覚と生成という二つのパラメ ーターを手掛かりとし、2 種類の横断的...
本稿では、〈荘務〉と〈所務〉にいて究明していく。とりわけ、〈荘務〉と〈所務〉が荘園領主と地頭を含む在地領主と深くかかわっていることは、先学によって触れられてきたが、詳しく〈荘務〉〈所務〉について論究す...
2019年度地域連携活動報告会 発表資料. 開催日時 : 2019年11月22日(金) 13:30~ 会場 : 水田三喜男記念館講堂 (18p.).勝浦ゼミナー
周知のように、『西遊記』は「四大奇書」の一つである。江戸時代に、『西遊記』は日本に伝来し、以来日本人に親しまれてきた。『西遊記』は荒唐無稽なだけの作品と思われがちだが、実は極めて論理的な全体構造をもっ...
京都の市民のあいだに文学意識の高まりが認められるのは大正期に入ってからである。一九一八(大正七)年に初めて同人詩誌の創刊が見られ、一九二〇年には句詩『鹿笛』と『京鹿子』が相次いで創刊される。両誌とも高...
中江兆民は1870 年代以降『一年有半』公刊まで,民権論を一貫して堅持した。他方,この時期に中江が対外関係論において「小国主義」から亜細亜雄張の国権拡張論へと「転換」を遂げたのも,紛れのない事実である...
江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
日本の国語教科書に採用されている「三年峠(三年とうげ)」は、韓国(朝鮮)理解の教材として位置づけられていることは、広く知られている。本稿は、この「三年峠」が日本の植民地時代に朝鮮総督府編纂の朝鮮語教科...
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」をはじめ、吉井勇の『酒ほがひ』の「祗園冊子」の章に収録された「祗園もの」とも言うべき一連の作品は吉井勇の生涯を通じた代表作となったものだが、こ...
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